この記事を書いた人

名前 しもじま まさき
フェイスブック https://www.facebook.com/masaki.shimojima
ウェブサイト https://instagram.com/masakishimojima
中津川出身。ちょっとだけ東京にもいました。好きなモノは多いけど、メインは音楽と読書と食べ物と文化。おヘマガさんでは、基本的にはお気に入りの、もしくは気になったお店やスポットを紹介していけたらなと思ってます。
2017/04/07
最近は日本のお城を扱った本のCMにも登場し、未だに人気も上昇中の苗木城。
今年は「続日本百名上」にも選ばれました!
今回はその苗木城をちょっとディープに歩きます。
【高森神社】
先ずは遠山資料館と苗木城駐車場の間くらいにある鳥居の奥にある高森神社。
苗木城とこの神社のあった場所で二重に木曽川の向こう側へにらみを利かせていたのだそう 。
「ちょっとディープ」というには探検レベルになりかけるので割合しますが、神社手前の石段を上がらず、そのまま奥へ5分ほど進むと龍王院(苗木城入って右側の足軽長屋奥)歴代住職 のお墓があります。
【パンフレット】
足軽長屋跡や大矢倉跡近くにて配布されているパンフレット。
こちらは石垣入門として中々分かりやすい解説があるのでお城ビギナーにはかなりお勧めです。
何より苗木城は「一度で複数の石垣が分かりやすく並んでるお城」。
【大矢倉】
ここで早速活用できます。
正面の大きな岩を境に左と右で石垣が違うのがよく分かります。
さて、どちらが何という名前でしょう…?
因みに向かって左側にある「風吹門跡」にあった門は、現在遠山資料館にて展示されていま す。
こちらも苗木城やこの辺りを深く知るにはお勧め。
ブラタモリ気分で地理から知りたい方は鉱物博物館もどうぞ。
【四十八曲がり】
時間のある方は是非こちらもどうぞ。
昔はこちらが正面の入り口だったらしく、お殿様はここから降りて川を渡って参勤交代など に向かったそうです。
この道のあちこちにも石垣が並びます。
もっと時間のある方は、四十八曲がりを道路まで降りたら左折→レンガの柱が見えたら川に沿って左折して登ってみましょう。
苗木城に限らず、石垣などに使う岩などは大きな岩に小さな穴を並べて空けてそこから割ってい ました。
その痕跡が残る場所に案内板、そして弁慶が割ったと言われる岩が立っています。
(そのまま直進→飛騨街道という看板のある車道を左折し計20分ほど歩くと苗木城手前のさくら公園に戻れます)
【撮影スポット】
二の丸より本丸を望みます。
ここでも3つの石垣を同時に見られます。
(ただし手前右側の斜めの石が積んである部分は修繕の際に作られた近代の積み方)
苗木城の天守は当時の城主でも年3回程度しか入る事ができず、普段はこの写真の撮れる二の丸辺りで暮 らしていたのだそうです。
苗木城の特徴の1つがこの巨石。それを支える石垣があるのもまた珍しい。
大矢倉の裏側や牢屋跡の奥など、実は目立たない場所にも距離感狂いそうな大岩が立っています。
(個人的には牢屋跡右側の大岩が石垣みたいに積まれている所も見て欲しいけど牢屋跡の奥は日陰なので常にぬかるんでおり、ちょっとした冒険になるので行く際はご注意を)
【黙想の顔】
遠山資料館HPで紹介されているスポットがこの黙想の顔。
さて、どこでしょう…?
【馬洗い岩】
「戦中、馬を乗せて米をかけて「水なら馬を洗うほどある!」」という逸話で有名な馬洗い 岩があります。
写真は実際に川の対岸辺りから撮った風景です。
馬洗い岩は本丸矢倉の右下辺り。
こうして見ても苗木城は大きな岩が多い事にもご注目。
【花子とアンのモデルの歌】
2014年の朝ドラ「花子とアン」の主人公には柳原白蓮というモデルがいます 。
その白蓮がこの苗木城に残した「苗木城址」という詩がこの馬荒い岩のすぐ近くに刻まれています。
「城あとに やかたも人も いまはなくて かたるは何ぞ 山鳥の声」
【投石】
埋め込まれた丸い石は当時本丸に供えられていた投石用の石なのだそう。
槍や刀と違って見る機会の少ない投げる為の石。
意外と大きい!
【石碑】
本丸矢倉手前の石碑。
一番上は最後の苗木「藩主」であり最初の「藩知事」である遠山友禄直筆のもの。
文章一番右の列にも「禄友」の文字が見えます
【懸け造り】
展望台に上がる前に、その展望台にもご注目。
頂上にもこんな大きな岩がある為、岩を少し削った穴に柱を立て、建物を作ったのが懸け造
りという手法。
この展望台はその懸け造りを生かしたスタイルで設置されています。
そして頂上から笠置山を望みます。
笠置山は「京都の笠置山に似てるから」という理由で名付けられたそうです。
今ではロッククライミングのメジャーなスポットでもあり、太古から残る文字が登山道から見えたりと、この山自体も中々面白いところです。
因みに江戸時代、この川の向こうは尾張藩の領内。
その為参勤交代などでは船で領内に入らないよう迂回していたのだそうです。
他にも「城主が秀吉の配下に攻められ群馬県で長年過ごした時期があり、群馬県館林市に「苗木町」 という地名が今でも残る」「昭和後期、公的には初めて石垣の積み直しをしたら謎の空き缶が出てきた」など、掘り下げがいのある話が多く残る苗木城。
今回はちょっとディープにご紹介。
次くる時にはまた違って見えてくるかも…?

名前 しもじま まさき
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中津川出身。ちょっとだけ東京にもいました。好きなモノは多いけど、メインは音楽と読書と食べ物と文化。おヘマガさんでは、基本的にはお気に入りの、もしくは気になったお店やスポットを紹介していけたらなと思ってます。