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おへそ仲間の声

自分のルーツをたどる中で見えてきたもの

2015/02/16

はじめまして。こんにちは。
中津川市出身&在住の園原です。

先日、生前祖母が暮らしていた家の古い押し入れを開けたら、こんな物が出てきました。

自分の名前
 

私が生まれた時のものです。
こういうものをちゃんと取っておいてくれたんですね〜ありがたい。

私の家は、中津川市の落合というところにあります。
曾祖父の前からずっとこの地で暮らしているそうです。
家の周りには7つの家族が暮らしているのですが、この内4つが親戚です。(なんか血が濃そう。。。)

祖父は、父が中学生の時に亡くなっていて、私は会ったことがありません。

この命名紙と一緒に、祖父や叔母たちの小さい頃の写真もたくさん出てきました。
古い写真の中には、祖父が陸軍学校の受験用に撮ったものや、戦地でのものであろう写真も。

祖父の戦争
 

話で聞いていただけのことが、こうして見ると少しだけリアルに感じます。
祖父が生きて帰ってきてくれたから、こうして今の私がある。
言葉にすると平たく聞こえてしまうけれど、写真を見るとその重みを感じましたね。

祖父は、兵隊の中でちょっと偉い人だったらしく、
”園原隊、○○制圧”みたいに新聞に載ったりしていたそうです。

戦後、祖父や家族への様々な恩給?が本当はあったらしいのですが、
「自分はたくさんの部下を死なせてしまった」と言ってその全てを断ったと聞きました。
だから家族はとっても貧乏だったそうです。

写真を見ながら、思い出したことがひとつ。

私が小学生だった頃、祖母の友人に会うと「あぁ、あんた、ヤギ屋の娘か〜」と言われていたんです。

「ヤギ屋の娘」ってなんじゃそりゃ。
うちってヤギ飼ってたんだ〜ヤギの乳売ってたのか?

これについて、初めて父にたずねると・・・
どうやらうちは「雄のヤギ」を飼っていて、種付けが一つの生業だったそう。曾祖父のころから飼っていたようです。当時は、馬を飼っている家、豚を飼っている家、どこにでも鶏がいたり等々、自給自足の生活だったと教えてくれました。

どの家にもコミュニティの中での役割があり、それぞれの生業で地域が成り立っていたんですね。

今は、家畜を飼ったりはもちろんしていないですが(笑)
それでも田植えや稲刈りの時期には、各家庭の田んぼを順番に手伝って一緒に行ったり、
年末には近所の人も含めてお餅つきをしたりと、生きた地域コミュニティの中で暮らしています。

自分の家には田んぼや畑があって、自分達が食べる分のお米や野菜は、当たり前のように作って食べてきました。生まれてからずっと、私はこういう生活の中にいます。

「自分で食べるものは自分で育てたい」とか「自然の中で優しい暮らしがしたい」などの話を聞いても、「どうしてそんなに…??」と正直なところ全然気持ちが分かりませんでしたが、この暮らしは当たり前ではないんですね。

こういう暮らしを守っていこうとか、そんな想いにはいたっていないのですが。
自分が当たり前だと思ってきた生活を、これからも当たり前にして暮らしていける地域であればと思いました。


この記事を書いた人

園原 麻友実

名前   園原麻友実

1986年岐阜県中津川市生まれ。おへマガの編集長。こだわりを持ったつくり手さんから生まれる食やモノが好きです。蜂が何よりの天敵。今年は登山をはじめたい。


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